BRAND STORY ブランドストーリー

格闘技の世界において、伝説のトレーナーと
呼ばれた一人の男がいる。

男の名は、須田達史。

キックボクシング、K-1、シュートボクシングなど
格闘技の垣根を越えて、世界チャンピオン8名、
日本チャンピオン20名を輩出した名トレーナーだ。

日本人は、体格、筋肉量ではどうしても欧米人に劣ってしまう。
にも関わらず、彼がサポートした選手たちは
次々に勝利を積み重ね、大きな栄光を手にしていった。

負けない強さの秘密。

それは、男の実践、研究の積み重ねの末に
やっと辿りついたものだった。
日本古来の身体作法を源とし、男が独自に進化させ、
現在のコアチューニングの原型ともいうべきものが出来上がった。

小学生の頃から、宮本武蔵の「五輪書」を愛読し
どうしたらもっと強くなれるのか、自問を繰りかえし、
たどり着いたのが、身体の中枢部「体幹」を整えることだった。

呼吸、丹田を整え、身体をゆるめ、
本来の状態に戻してあげることで
不思議なことに、自力を越えた他力の力が働く。

その結果、眠っていた身体の可能性が発芽し、
大きな花を咲かせられると、男は震えた。
幾度もの苦難を乗り越えた男の伝説はこうしてはじまった。

目次

故郷、長崎
Nagasaki

1  強さを求めて駆け抜けた青春時代

男は幼い頃から負けず嫌いで、怖いもの知らず。
さらに生意気で目立つ性格だったため、
因縁をつけられてケンカをすることは日常茶飯事だった。

そんな男がさらなる強さを求めて、はじめたのが空手だった。
しかし、そこで挫折を味わうことに。
これまで負け知らずだった男が、道場の誰にも勝てなかったのだ。

そこから過酷なトレーニングがはじまった。
毎日、腕立て、腹筋、背筋、スクワットを各2000回やるなど、
そこまでやるかというほどの鍛錬を自らに課した。

当然、強くなっていく。
誰もがやらないほど徹底的に自らを追い込んだ結果、
地元長崎ではいつの間にか敵なしになっていた。

キックボクシングの世界へ転身した男は相変わらず、
週に2回は気絶をするという、
想像を絶する過酷なトレーニングを積んだ。

ついに、2年後には日本チャンピオンにまで上り詰めた。

しかし、男は満足することもなく、さらなる強さを求めて、
当時、世界最強レベルの選手が揃っていたオランダへ
武者修行へ向かった。

日々の練習が終わったら、レストランでアルバイト、
その後はジムに寝泊まり、そんな日々の連続の中、
思いも寄らぬアクシデントが男に襲い掛かった。

度重なるめまい、吐き気。
身体の異変を感じた男は、日本に一時帰国。

診断結果は、「高次脳機能障害」、
いわゆるパンチドランカーだった。

狂おしいほどに強さを渇望し、
命を削るように戦い続けた男への非情と言える宣告。
身体はすでに限界を迎え、現役引退を余儀なくされた。

人生のすべてを賭けていた格闘技を奪われた須田にとって、
暗闇の中を這うような時間が長く続いた。
そんな須田が、ふとしたきっかけで、一筋の光を見つけた。

それがトレーナーとして生きる道だった。

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2  日本、そして世界で育まれたコアチューニング

格闘技の指導者、トレーナーとなって、
後輩を育成していく道を歩みはじめた須田。

その練習の舞台となったのは、ジムではなく、近所の公園だった。

公園の青空道場から、伝説が次々と誕生するとは一体誰が予想しただろうか。

結論から言うと、
トレーナーとなってからは、
キックボクシング、K-1、シュートボクシングなど、
格闘技の垣根を超えて、
世界チャンピオン8名、日本人チャンピオン20名を
輩出した。

小林選手がムエタイの選手・ヨードクンクライ(タイ)と対戦し、1ラウンド2分20秒KOガチを決めた後のリングで(2006年6月11日、東京・後楽園ホール

一般的には、身体が大きい、筋肉量が多いなど、
体格がいい方が優位にあると思われがちな格闘技の世界で、
相手選手より小さくても、筋肉量が少なくても勝つことはある。

筋肉の総量が、勝ち負けの絶対条件ではないのだ。
須田が長くセコンドについていた選手たちも、
決して体格に恵まれていた選手ではなかった。

しかし、試合となれば、勝利を重ねていく、
そんな選手たちが須田の周りに集っていた。

体格のいい海外選手と対峙しても、負けない強さ。
そこには人間の身体機能について知り尽くした
須田の奥義とも言うべき、コアチューニングの原型となる、
身体の可能性を引き出す操作法があった。

もともと研究者気質の須田が、
日本古来の多くの身体操作の達人を研究した結果、
たどり着いたのが、体幹を整えることだった。

世界中の猛者が集うリングの上で、
栄光を勝ち獲っていく選手たちとともに、
コアチューニングも進化を遂げていった。

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3  自力と他力を使ってはじめて引き出せる能力

日本人の身体操作法をあらわす一枚の有名な写真。

昭和14年に山形の農村で撮られたこの写真は、現代人から見ると
信じられない光景として映る。

一俵あたりの重さは60kgなので、
五俵の米を担ぐ小柄な女性たちは、
重量にして約300kgの荷物を背負っていることになる。

「俵」の単位も、
当時、現代よりも小柄だった女性たちが
一人で担ぐ重量として、無理なく運べる単位として
つくられたことを考えると、今の常識とは随分異なる。

これは、決して筋肉トレーニングの
延長線上で成し得るものではない。

呼吸法や武術における身体運用法など、
自力で身体を水のようにゆるめ、
他力として地球の重力を感じることが
できる体幹をつくることで、
このような驚くべき現象が現実のものとなる。

この法則に則った
「自力と他力の融合」が、
本来の日本人の身体の使い方で、
戦後に変わってしまっただけなのだ。

自力と他力が働き、
人が持つ可能性を最大限に発揮できる
コアチューニング は、身体はもちろん、
精神も整えるメソッドとして、
継承していかなければいけない
日本の叡智がつまっている。

コアチューニングメソッドの
普及活動を通じて、
社会で活躍する人財を輩出し、
日本の未来に貢献する
というビジョンを掲げる
男の挑戦は、まだはじまったばかりだ。

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